園長のことば (令和5年(2023).4月) 

 

【主体性と協調性】【安心と安全】【ゆたかな体験】 

 桜が咲いています。4年ぶりに晴々とした気持ちで入園・進級式を迎えることができます。入園・進級おめでとうございます。振り返ってみれば、平成31年2月より新型コロナウイルス感染症が流行し始め、3年にわたって社会活動が制限されてきました。4年目になり活動制限も緩和され、感染症流行以前の生活が戻りつつあります。

 感染による重症化や死亡リスクは幼児の場合、低いということでしたが、ご家族のなかには持病のある方や闘病中の方もおられることを想定し、園内で子どもが感染し、それが家族にということは避けなければならないと思っておりました。どこの保育・教育現場も、感染対策と保育・教育の両立という難題のなかで、苦闘されたことだと思います。

さいわい本園では、この間、園内での感染拡大が起こることはありませんでした。保護者のみなさまの感染対策へのご理解とご協力があり、園内感染については最低限の責任を果たすことはできたと思っております。

しかしながら、この3年間、子どもたちが成長過程に応じた体験や経験を十分に積むことができたかと問われると、ずいぶんと活動を制限しなければならなかったと言わざるを得ません。

また、コロナ禍のなか、保育園・幼稚園での死亡事故や、保育者の不適切保育等の報道を目にすることが幾度もありました。それらの報道がある度に、事故対策の見直し、不適切保育についての確認を行ってきましたが、これらの事故や事件の背景には、社会全体に広がる先行きの見えない不安やストレスに保育者だけでなく、園児と家庭も晒されていることがあったように感じられます。

今年度は「主体性と協調性」をテーマに考えておりましたが、それに加えて、基本に立ち返り、子どもだけでなく保護者と保育者も加えた「安心と安全」ということ。そしてこの3年間制限し続けてきた「豊かな体験と経験」ということをテーマに日々の保育・教育を実践し、学び、見直していきたいとおもっています。

本園の保育をご指導いただきますのは、林よし恵先生です。広島大学付属東広島幼稚園で、幼稚園教諭として勤務され、その後広島大学、広島女学院、広島文化学園大学で、幼児教育を教えてこられました。前任の望月先生からのご紹介です。

 どうぞ、一年間よろしくお願い申し上げます。子どもと保育者と保護者の笑顔と笑い声に満ちた園でありたいと思っています。

 

 

 

園長のことば (令和5年(2023).5月) 

 

 新年度が始まり、早一か月が過ぎました。市内のコロナ感染者数も落ち着いているようです。先日の新聞折り込みに旅行会社のカラー広告が入っていました。思わず何年振りだろうと思ってしましました。それでコロナ禍のなか中止されていた保育実技講習会はどうなっているのかと調べてみますと、4年振りに1泊2日とか2泊3日の講習会が再開されることがわかりました。コロナ禍の間、オンライン講習会もあったのですが、先生たちが積極的に受講したいものではなかったようでしたので、今年度は、以前のように2泊3日の講習会への参加を再開することにいたしました。参加予定の先生は「やったー」と嬉しそうです。講習会も仕方なく受講させられるものと、ワクワクして受講したいと思う講習会では身に付くものも違ってくるでしょう。

 

 さて、幼児教育・保育が、小学校以降と違うのは、何歳の何月には、○○を習得するといった具体的な目標・課題と習得の為の時間数を設定されていないということです。正確には全くないわけではなく成長の過程としておおむね〇歳では、という言い方をするのですが、それは、子どもを○○ができた・できなかったという評価の眼で見てしまうことを避けるためでもあります。できた・できなかったよりも楽しんでいたかということを大切にします。

 それぞれの園児が、保育者の指示でやらされているのではなく、自ら夢中になって遊ぶことのできる大好きな遊びを見つけているか?そのような保育環境・教材を準備できているか?「遊び込む」体験を繰り返すことができているか?といった、つまり習得結果を見るのではなく子どもの興味や関心、意欲を育むことができているかどうかを優先するということです。それが自ら生きる力・学ぶ力を育むことへ繋がるのだという考え方をします。

 出来ないことを練習・訓練して出来るようにする、言い換えれば克服するということは、幼児教育・保育には当てはまりません。苦手なことであっても繰り返すうちにだんだん出来るようになって好きになるということもありますが、まずは、楽しく過ごせているか、幸せに過ごせているかが、幼児教育・保育では大事です。

 遊んでいるだけではないかと言われることもあるのですが、乳幼児は、遊びを通して学んでいますから、しっかり遊ぶことのできる環境・教材を準備することが保育者の大切な役割です。

 

 

 

園長のことば (令和5年(2023).6月) 

 

 5月中に、梅雨入りとは少々早いように思います。カタツムリやみみずが姿を現わすのもすぐでしょう。もう蚊が飛んでいるのを見かけました。蚊取り線香や虫よけスプレーはよく売れるだろうなと思ってしまいました。これも温暖化の影響で、気候が変動しているということなのでしょう。6月中に台風が日本へ上陸ということももしかしたら起こるかもしれません。

 雨が降っていては屋外で十分にあそべません。梅雨明けはいつになるのかわかりませんが、梅雨が明けると夏です。熱中症の心配をしなければなりません。これまた屋外で遊ぶ時間が制限されます。

 裏山へ登れば楽しいだろうなと思っていても、イノシシとマダニ(日本紅斑熱)のリスクがありますから、止めておこうかということになってしまいます。屋外で過ごす時間は、昔と比べるとずいぶんと減ってしましました。

コロナ感染症が落ち着き、いろいろな制限から解放されるはずなのに、感染対策のための制限がなくなっても、「安心・安全」のための制限が多いことに改めて気づきました。「安心・安全」と「ゆたかな体験・経験」を両立させるのは、なかなか大変です。ニュースで保育中の事故を目することが増えました。

 保育者にはどこにでもいつでも大事故の危険が潜んでいるという認識と、つねに怪我や事故の可能性を予測する力が必要です。それを保育者全員が共有していなければ、事故は起こってしまうということなのでしょう。驚かれると思いますが、保育所での死亡事故で最も多いのは、午睡中の突然死・窒息死です。

 どこにでも、いつでも大事故の可能性が潜んでいることを忘れてはいけませんが、またそれを考えすぎると、何もできなくなってしまいます。そのバランスが難しいところです。

 

 話題を変えます。先日、興味深い本を読みました。NHKスペシャル「超・進化論」が本になったものです。植物が互いにお話をしているというのは、これまではおとぎ話の世界のことでしたが、植物が他の植物や昆虫とまるで会話をしているかのようにコミュニケーションをとっていることが、分かってきたという内容です。これまでは科学的測定方法がなかったから、それがわからなかっただけだということです。

科学的常識も変わるのですね。数年後の理科の教科書には、植物も会話をしていると載るのでしょう。

 西洋ルネサンス以降の人間中心の世界観から、仏教で説く、すべてのいのちあるものは皆尊いという生命中心の世界観へ変わるべき時が来ているのかもしれません。

 

 

園長のことば (令和5年(2023).7月) 

 

 梅雨が明けると夏です。沖縄は数日前に梅雨明けしたとニュースでながれていました。もうすこしするとセミの鳴き声が聞こえるようになるのでしょう。先生方は、園庭に幕を張り、日陰を作っています。元気のよいたのしそうな声が園庭から聞こえてきます。

 人の移動も活発になり、旅行される方も多いのかなと思っています。マスク姿の方も徐々に減りつつあるように感じています。あれだけ神経質になっていたコロナ感染症についてもあまり話題に上らなくなったように感じています。ただ、昨日のニュースでは、コロナウイルス第9波の感染拡大が起こるであろうことと、すでに沖縄ではコロナ感染が急拡大し、専用病床は満床となり、患者の受入れが困難になっていると報道されていました。

 コロナ以前は、冷たいお茶を飲むことができるように園舎内に冷水器を設置していましたが、冷水器が感染経路になってはいけないということで、撤去していました。今年は、冷水器を設置してもよいのではないかと検討中です。

 昨年、送迎車に園児が置き去りにされるという事件があり、車内置き去り防止装置の設置が義務付けられました。本園の送迎車にも5月10日に取り付けいたしました。びっくりする位おおきな音がします。人間は必ずミスをしますから、人の眼と機械の眼の両方で安全を確保することが大切なのでしょう。

 

 

園長のことば (令和5年(2023).8月) 

 

 暑い日が続いています。昔は、30℃を超えると夏日といわれていましたが、日中35℃を超えることが珍しくなくなりました。暑すぎるため、たまった水が高温になりボウフラも繁殖できないのでしょう。蚊の姿はこのところ見ません。この暑さでもセミの鳴き声は聞こえてきます。セミはこの気温でも平気なのでしょうか。

 7月の世界の平均気温は、観測史上最高だそうで、地中海沿岸のギリシャやイタリアでは日中40℃を超えるとニュースで流れていました。国連事務総長は、温暖化ではなく地球が沸騰化している時代が来ていると警鐘を鳴らされています。平均気温が上がっているということは、紫外線量も増えているのでしょう。ニュースでは熱中症のことはよく流れますが、紫外線被ばくについては、たちまち皮膚がんや白内障になるわけではないためかニュースにはなりません。

 屋外で仕事をされる方やエアコンのない職場は、たいへんだろうと思います。夏の高校野球全国大会の出場選手も応援団も炎天下のなかでのプレーと応援になるのでしょう。夏場は、働き方も学校の課外活動もいろいろな面から見直さなければいけない時期がきているように思います。

 園児の日中の過ごし方も、屋外での活動を減らしています。この気温と紫外線被ばく量を考えれば致し方ありません。

 この時期の屋外活動の際には、職員と園児のサングラス着用について、将来の健康被害リスクをさげるために検討した方がよい気がします。保育教材の業者さんが幼児用サングラスを扱われるようになるのもそんなに先のことではないでしょう。

 紫外線対策の日焼け止めについては、園で塗ってもらえないのだろうかという思いを持たれている方もあると思います。クラス全員に、それぞれの日焼けどめを間違いなく塗るには、それだけで時間がとられ、活動時間を削ることになります。そういうわけで、「日焼けどめが必要な方は、ご家庭で登園前に」とお願いしています。

 

 

園長のことば (令和5年(2023).9月) 

 

 8月後半、東日本の小中学校での熱中症の報道をよく目にしました。猛暑の日中、屋外で運動をすれば熱中症リスクが上がることは分かりきったことだろうに、なぜ?と思ったのですが、考えてみれば、学校は、時間割が決められていますから、担任の裁量で、臨機応変に時間割を変更することはできなかったのかもしれません。

 10年以上前、広大付属三原幼稚園で見た光景をおもいだしました。雨が降っているなか、ひとりの男の子が植木鉢の花に水をやっていました。水やり当番だったのでしょう。その光景を見ていた女の子がふたりやってきて、「水やりしなくてもいいんじゃない?」と言っています。それでも男の子は一心不乱にジョロで水やりをしています。再度、女の子二人が「水やりしなくても大丈夫だよ、だって雨が降っているから。雨の日は、水やりしなくてもいいんだよ」と話しかけています。男の子も少し考える様子でしたが、「ああそうか」と納得したらしくジョロを片付けて、3人で部屋へ入っていきました。その間、担任と思しき先生は、様子を見守っておらましたが、「雨に濡れるでしょ」とか、「雨だから、今日は水やりしないでいいよ」とは一言もおっしゃいませんでした。その子たちも、担任に指示を仰ぐ様子はありませんでした。

 幼児教育・保育では、「保育者が、先回りして事細かにすることしないことを指示し、聞き分けがよい子どもにするのが、良い幼児教育・保育なのではない。それでは指示待ちの大人にしか育たない。遊び(経験・体験)から何を感じ、何を学んでいるのかを推測できなければならない」と言うのですが、その時、三原附属の担任と園児の姿を見て、なるほど保育者に必要なのは、こういうことなのかと思いました。

 ルールを守ることは身につけなければなりませんが、現実は、すべてが規則通りではありません。不条理で想定外だらけだといってもよいかと思います。その際、自分で考え判断し、解決しようとする力が必要になります。今夏の東日本での熱中症ニュースは、学校現場を規則でがんじがらめにしてしまった規則最優先社会の脆さを露わにしてしまったような気がしなくもありません。

 法律・規則に従うだけでなく、同時に状況を踏まえて常識的で円満な理解・判断ができる力がないと法律・規則の文面のみに囚われて、腰がぬけるほど奇妙なことになります。具体は申し上げませんが、役所や金融機関で時折ため息のでることがあります。土砂降りの中、カッパを着て水やりをさせられるようなことが、随分と増えているように感じられます

 

 

園長のことば (令和5年(2023).10月) 

 

 暑さ寒さも彼岸までといわれますが、お彼岸過ぎから、朝夕少し涼しく感じるようになりました。いつの間にかセミの声も聞こえなくなりました。気のせいかもしれませんが、聞こえなくなるのが少し早かったように感じます。もしかしたら、セミも夏バテして寿命が縮んだのかしらと勝手な想像をしています。

 新型コロナ感染症は、終息する気配がありません。そのうえインフルエンザが、この暑い時期に流行するのはなぜなのでしょう。インフルエンザウィルスも変異しているのかしらと思ったりしますが、よくわかりません。コロナとインフルエンザの同時感染もあるということなので、子どもが同時感染した場合の重症化率はどの程度なのか心配しています。

 なにもかもが変わりつつあるように感じられます。台風の進路もかわってしまったようで、このあたりはありがたいことに7.8.9月一度も台風の直撃はありませんでした。ただ、全国的には、随分と豪雨被害のニュースがありました。災害報道に慣れてしまった自分に気付きます。

 世界へ目を向けると、リビアの大洪水、モロッコの大地震、ハワイマウイ島の大火事等、自然災害による死者〇〇〇名、行方不明〇〇〇名といった報道が耳に入るのですが、自分とは関係のない他人事のように感じてしまっている自分に怖くなりました。

 ロシア、ウクライナをはじめとして各国の指導者は、戦争によっておおくの命が失われ、傷つき、悲しみ・苦しみが満ち溢れているだろうに、平気なんだろうかと思ってしまいます。国民の命を犠牲にしても守らなければならない大義があると思うのでしょうか。ウクライナ、ロシア両国ともに死刑廃止国なのに、正直理解し難いと感じます。

「共感」という言葉がありますが、他者の痛み(苦しみ・悲しみ・不安)といった感情に寄り添えない・共感できない人が多数派になったとき、戦争という悲劇は起こるのかもしれません。

 世の中を動かすには、高尚な理念や難解な理論、沢山の法令・条例が必要なのでしょうが、その前に、身近な人の痛みに共感でき、そこから考え行動することのできる力があれば、社会が抱えているたくさんの問題も解決されるのではないかと考えたりします。

 仏教は、「自他不二」ということを説きます。簡単に言えば、赤の他人だと思っている人ともつながっているのですよということです。そこから、利他(他者のために)という考え方がでてきます。他者のためにというのは、自分のためなのだということです。

 宮沢賢治の「世界がぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、仏教の世界観をあらわした言葉です。

 このことを保育の現場から考えてみると、「共感する力」をいかに育てるかということが求められていると感じています。。

 

 

園長のことば (令和5年(2023).11月) 

 

 幼児教育が始まったのは、1840年、ドイツのフレーベルによるフレーベル幼稚園が最初です。イギリスでは10年程おくれて1851年。アメリカでは1856年です。アメリカの場合、ドイツ系アメリカ人の子弟を対象としてはじまったので、当初はドイツ語が使われていました。英語による幼稚園がはじまったのは1860年だと言われています。

 日本では、1876(明治9)年11月に、お茶の水大学の前身である東京女子師範学校に附属する形で始まっています。明治12年4月に鹿児島女子師範学校附属幼稚園、5月には大阪府立模範幼稚園が開設されています。明治維新後10年も経たないうちに幼児教育が始まっているのには驚かされます。ちなみに日本最初の保育所は、1900(明治33)年1月に、東京麹町へ「二葉幼稚園」という名称で開設されています。

 日本の幼児教育発足に深く携わったのは関信三という方なのですが、残念なことに37歳で、1879(明治12)年に亡くなられています。この方が、長生きされていれば、幼稚園と保育所という二重行政はそもそも存在していなかったのではないかと言われています。

 認定こども園制度は、幼稚園と保育所が一体化したということになっておりますが、実態は、決算書にしても、社会福祉会計基準による決算書と学校法人会計基準に作り直した決算書が必要です。二重行政が解消されたとは言い難いように思っております。通知にしても、文部科学省発と厚生労働省発の両方へ目を通さなければならず、そのうえ、文部科学省の内容と厚生労働省の内容に矛盾があったりして、いったいどちらへ従うべきなのか困惑することもありました。

 政府は「子どもまんなか社会」というスローガンを掲げていますが、「子どもがまんなか」なのであるのなら、なぜ一号認定こどもとか、二号認定こどもといった区別をされるのか首を傾げてしまいます。分けられるのは、大人の都合であって子どもの都合ではありませんから。これからその辺りも解消されるのかもしれません。

 さて、関信三の考え方で興味深く感じるのは、園庭を「公庭」と「私庭」いうように分けていることです。「公庭」とは、園児みんなで使う共用の庭で、「私庭」とは自分ひとりの庭です。私庭は、各々が、花を育てたり、野菜を育てたり自分で考えて使うことが出来る場所です。「私庭」の広さについては、記憶が定かではないのですが、たしか一人当たり一坪程度と書いてあったように思います。一斉保育や一斉教育では、でてこない発想です。

 いまの幼稚園・保育所・認定こども園だけでなく小中学校にも、私物はあっても、私のための場所というものは机とロッカー以外は準備されていません。

 保育・幼児教育・教育の場では、主体性を大切にするということが随分と言われますが、そうであるならば、「私庭」は、特に保育・幼児教育の場において考えていかねばならないように思われます。

 

 

園長のことば (令和5年(2023).12月) 

 

 例年より一週間ほど遅いように思います。ここ数日、境内の紅葉が色づいています。とても綺麗です。寒くなりましたが、元気のよい声が毎日聞こえてきます。

 振り返ってみてそういうことを若い時から知っておけばずいぶんと違っていただろうと思うことがあります。そのひとつが利子・利率と投資についてです。

 もうかなり長い期間、1パーセントの利子さえもつく銀行はありませんが、投資信託や株式投資はギャンブルだから近づくと身を亡ぼすと信じておりましたし、利子1%といっても、10万円で1000円の違いでしかないという程度の認識でしたから、安全第一で利子・利率ということを考えることはありませんでした。数年前、NISAとかIDECOのご検討をという冊子が送られてきたので、福利厚生としてIDECOの申請をしたのですが、頭のなかは???でした。

 それが、それがです。毎月3万円の積立を20年間続けたとき、利子のつかない銀行では720万円ですが、年率3%の投資信託であれば990万円になります。もしも年率6%なら、1,396万円になります。30年ならさらに差がひらきます。複利の力おそるべしです。私も、あわててNISA口座をひらき、積立をはじめましたが、気付くのが遅かったと思っております。

 元本割れするリスクがありますから、だれにでもお勧めできるものではありませんが、学資保険も掛金の7~8割しかもどってきませんでしたから、学資保険の掛け金を投資信託へ預けていればといったいくらになっていただろうと思ったりもします。投資信託には病気やケガの際の保障はないわけですからどちらがよかったのかわかりませんが。

 20年は長いように思いますが、過ぎてみればあっという間です。これは間違いありません。子育て中は気が遠くなるような気がしておりましたが、もっと我が子との時間を大切にしなければいけなかったなあと反省しています。

 幼児教育・保育も日々の保育を丁寧に大切に積み上げて、複利がつくような保育をしなければいけないなあと思っております。

 

 

園長のことば (令和6年(2024).1月) 

 

 今年は、「自他ともに心ゆたかに生きる」ということをよく考えさせられました。仏教の根底にある考え方です。ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの戦争がニュースで流れますが、「自他ともに心ゆたかに」という思いよりも、「暴力・武力を使ってでも、他を従わせる」ことが正しいのだという思いが強くなった時、戦争という悲劇は起きるのだろうと思わされます。

 いまの世の中は、競争と無縁であることができない社会です。学校でも会社でも、つねに評価され、他者より秀でること、競争に勝つことがよいことであり、そこへ幸せもあるのだと知らず知らずのうちに思い込まされているように感じます。でもそれは、勝ち得たものをいつ失うかもしれないという不安と隣り合わせです。

 自分たちの利益のためにだれかを犠牲にしてしまっているのではないか、だれかを排除してしまっているのではないか、だれかを踏み台にしてしまっているのではないかと後ろめたさをどこかに感じてはいても弱肉強食」の世界になりつつあることに何もすることができないでいると感じることがあります。

 規制を緩和して競争させることにより、社会を発展・進化させようという政策が小泉政権の時からはじまり、その後第一次安倍政権の「頑張った人が報われる社会」が国民から支持されましたが、そこには「自他ともに」ということが抜けてしまっていたため、その歪がでてきてしまっているように感じられます。

 「自他ともに」という視点から世の中を見直していく必要があるように思います。

 令和6年がすこしでもよい年になることを願わずにはおれません。

 

 

 

園長のことば (令和6年(2024).2月) 

 

 まさか元旦に地震が起こるとは思ってもいませんでした。お正月だということで里帰りし、被災された方も多かったのだろうと思います。家族のなかで自分ひとりが生き残ったという方がテレビの取材を受けておられる様子が流れておりました。だれもが、生まれてきた以上、いつかはこの世とお別れをしなければならない時がくる、親や祖父母、兄弟、友人などと別れていかなければならない時がくることはわかっているつもりではいても、それは「いつか」のことであり、今日だとは思ってはいません。その上、我が子を亡くすというこれほどの苦しみがあるのだろうかと思います。

 家族で自分一人が生き残ったと言われていた方は、何を心の支えにして生きていかれるのでしょうか。どのような言葉をかけることができるのでしょう。その方の言葉をただ聴くことしかできないように思います。

 また、年金生活の高齢者は、これからの生活再建をどうされるのだろうか、何に希望をもてばよいのかと思います。

 コロナ感染症による自粛要請が昨年ようやく解除され、観光業や飲食業に従事される方は、さてこれからだと思っておられた矢先の事だったと思います。心が折れてしまうという言い方がありますが、その通りだと思います。被災地に対して自分は何ができるのだろうかと考えますが、募金する以外は思いつきません。

 自然災害は、他人事ではありません。南海トラフ地震は今後40年以内に90パーセントの確率で起きると言われています。阪神淡路大震災が平成7(1995)年1月17日、東日本大震災は平成23(2011)3月11日でした。

 東日本大震災以降、災害に備えて飲料水や非常食を備蓄するなど準備はしていましたが、石川県の被害状況を見ておりますと、想定が甘すぎることを思わされました。保護者が迎えに来られるまでを前提にしておりましたが、保護者がお迎えに来られても帰る家が倒壊している可能性や、そもそも道路が使えないことも考えておかなくてはいけません。

 話題をかえます。今朝、園舎の玄関外へスズメが座り込んで?いました。逃げる様子もありません。玄関へぶつかり脳震盪を起こしていたのかもしれません。手で触れないようにそっと段ボール箱へスズメを入れ、薪ストーブの側へ置いておきました。鳥インフルエンザの可能性もありますから、どうしたものかと思いましたが、しばらくすると、元気になり段ボール箱から飛び出し、ドアを開けると、少し弱弱しく感じられましたが、飛んでいきました。

 その姿を見て、思いました。この度の震災で被災地の人達は、たいへんな状況になっているけれども、被災地の野生動物や鳥たちは地震前と地震後で、生活は一変したのだろうか、たいへんなのは人間だけで、野生動物や鳥たちは、いつもと変わらない日常を過ごしているのかもしれないと。

 

 

 

園長のことば (令和6年(2024).3月) 

 

 令和5年度、最後の月になりました。この冬は。雪が降ることもなく道路が凍結することもありませんでした。梅が花を咲かせ、河津桜も咲き始めています。鳥のさえずりが自然と耳に入ってくるようになりました。もうすぐ春が来るよと鳴いているような気がします。まだまだ寒い日が続きますが、暖かくなるまでもう少しでしょう。

 2月後半から、インフルエンザとコロナ感染が本園においてもぽつぽつと出ています。コロナだけでなくインフルエンザ流行も時季を選ばなくなってきているように感じています。

 2019年9月に広島市内の小学校へ通っていた2年生児童がインフルエンザ感染をきっかけとして死亡していたことを先日の新聞で知りました。ご家族の気持ちを考えるといたたまれなくなります。  正体不明の新型コロナウイルスに震え上がったのが、2020年のことです。コロナ以前と以後では感染症対策も厳格になりましたから、現在であれば、感染することもなかったかもしれません。ただ、学校内感染をゼロにすることは不可能ですし、感染してもほとんどの場合、なにごともなく治るわけですから、やはり運が悪いとしかいいようがない面があるように思います。

 

 さて、白組さんは、4月からは小学校です。幼児教育・保育では、子ども自身が「何に興味関心があるのか」「どんな遊びが好きなのか」「楽しんでいるか」といったことを最も大切にしますが、小学校以降は、子ども自身の興味関心と関係なく与えられた課題について「できる・できない」といった評価が入ってきます。高学年以降は、さらに「順位」というものが入ってくることになります。

 多様性をいいながら、一方では「比較」と「競争」から逃れることができないのがいまの世の中に生きる私たちの姿です。「自分なりでいいよ」となかなか言ってもらえない世の中で、不安と悩みを抱えながら、どうにか折り合いをつけて生きていかなければいけません。

 

 「歩くのがゆっくりな人と歩くとき、自分もゆっくりと歩く そんな世の中に」この言葉は、東京大学名誉教授・日本保育学会会長の汐見稔幸先生の言葉です。仏教の精神をよく表している言葉だなあと思っています。